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2012/12/01

パンツという常識、以前の話

ポーラ研究所が発行した『is』というサブカル的な季刊誌の1987年の「明るい下着」という特集記事の中にあった。

衣風俗研究家が、長野の山村で調査をした時、モンペ姿のおばあさんに「パンツをはきはじめたのはいつごろなの?」と訊いたところ、明治44年生れのそのおばあさんは、パンツがキライではいていないと言ったとか。そして、
「パンツをはくと、股のところがゴソゴソして、気持ち悪いでしょ。だけど、泊りがけの旅行に行く時はパンツをはいていくから、一枚や二枚は持ってるよ」
というわけで、パンツが一般的な下着になる以前の有り様を偲ばせるエピソード。

パンツをはく、はかないとか、パンツかスカートかという問題は、実は地理的、歴史的、民俗学的にも重要で、大和朝廷以前、日本人のルーツを辿った時、「パンツかスカートか」という話は、ひじょうに根の深いもののようです。

その深い話は、あまりにも深いので、今はともかく。
民俗学者の宮本常一の『女の民俗誌』を紐解くと、パンツに関して、こんな話がありました。

農家の女たちも古くはモンペをはかなかった。袖の短い膝までの仕事着を着た。これは多くは紺の盲縞であった。そして脚絆をはきわらじをはき、手甲、腕ぬきをつけ、手ぬぐいをかぶり、その上から菅笠をかぶるのが普通であったが、荷を背負うときは笠はかぶらなかった。帯は用いず細紐で結んでいた。姫津の女に見るほんの少々のはなやかさすらなかった。それに佐渡はもと湿田が多く、ところによっては腰までつかるようなことがあった。モンペが用いられ、またパンティやズロースをはくようになってみじめな思いをしなくてすむようになったという。いまは耕地整理もすすんでそうした湿田もずっと少なくなった。が、いずれにしても百姓をしているかぎりはどろんこになって働くよりほかに方法がなく、着物もよごれめの見えぬ盲縞か細縞が喜ばれた。そして若い嫁たちは、その仕事着の下から白い腰巻を三寸ばかり出して着るのがはやった。それがたいへん美しくみせたものである。(「佐渡の女」より引用)

面白いですね。
腰巻をのぞかせて、昨今風の「見せパン」のような着こなしは、かなり歴史的に古いものだったようです。

ここで引用したのは、佐渡島のお話ですが、『女の民俗誌』には、日本各地の様々な風土の中での、多様な女性の暮らしぶりが描かれており、正に、ステレオタイプの常識になりがちな日本の女性のイメージを覆す意味でも貴重な本、ということで、ここにご紹介させていただきます。



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