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◇◇ボロ布のいぶし銀の魅力~『物には心がある』◇◇


「あなた、ふんどし作ってるんだったら、見た方が絶対いいわよ」
と奨められて行ってきました、浅草の アミューズミュージアム の『美しいぼろ布展』。

見るからに「和のパッチワーク」である。
刺し子の野良着などが数多く展示してあった。


青い鳥探しに旅に出たけど、あれは自分の家にいたよ、てなカンジで、わざわざ舶来のエスニックやフォークロアに憧れなくても、日本の原風景にも決してそれに見劣りしないものがあるということを、思い知らせてくれた。

それにしても、手仕事というのは、本当に贅沢なものだ。

肌着、下着類に焦点をあてると、それもかつて自前の手づくりであることが基本だったようで、ボロのつぎをあてて作った肌着シャツが、 野良仕事の時に虫が入らないように袖口を閉じるボタンをつけて… と、機能的なディテールの工夫には、目を見張る。


下着のコーナーの展示の説明によると、
衣服調査の中でも、特に女性の下着の調査、収集は非常に困難である。汚れもの、人に見せられないものとして、始末されてしまうことが多いからである。…云々。
というわけで、腰巻やおむつがいくつか展示されていた。

腰巻 着物の下に着る下着だったが、おしゃれの目的もあり、祝いの席や盆踊りの時につけて行った。大正時代に若い女性が使ったもので、浅黄色に染めた麻布の下に木綿の絣を組み合わせてある。


おむつ 青森には、イジコという乳幼児用の篭がある。篭の底に稲藁を敷いて赤ちゃんを入れ、藁が汚れると取り替えた。おむつは4、5枚あれば良いほうで、使い古して柔らかくなった布を重ね、つなぎ合わせて作った。


大人用おむつ 田中忠三郎さんのお祖母様が、自分が寝込んだ時のために用意していたおむつ、手拭やタオルなど、使い古して柔らかくなった木綿布をつなぎ合わせ、袋縫いしてある。作為のない大胆な配置が美しい。

などとあった。
ボロになった腰巻を、おむつ用に下ろしたのかもしれない。

大人用おむつといえば、私が高齢者から小耳に挟んだ「介護おむつ」の話が、心に残っている。
戦後しばらくの頃から長年、嫁ぎ先のお舅さんの介護をされたご夫人だったが、当時は使い捨てのおむつなど無かったものだから、ご自分でこしらえたそうで。そのおむつの仕様が、木綿のサラシと、ビニールの間に、撥水効果のあるボロになった羊毛のセーターを挟んだものだった、と。
近所の人に要らなくなったボロを貰ったりして、あれこれ工夫をされたというお話。

これらの『美しいぼろ布展』の展示品は、民俗学者の田中忠三郎氏のコレクションなのだそうな。

売店で手に取った、氏の想いが綴られた『物には心がある。~消えゆく生活道具と作り手の思いに魅せられた人生~』を手にとって、ぱらぱら見ると、非常に興味深いことがあれこれ書かれていた。

中でも、ここで特筆すべきは、以下の箇所。
 女性の下着といえば避けて通れないのが、生理の問題である。下着でさえこのありさまなので、生理帯の資料を手に入れることはほとんど不可能である。
現在のような、いわゆるナプキン型の生理用品が誕生したのは昭和三十年代の半ばで、大正時代にはガーゼで脱脂綿を包んだものを使用していたということであるが、戦前の青森の農漁村等で脱脂綿を入手することは不可能であった。
当時はガマの穂綿や、ゼンマイの綿毛を乾燥させたものを脱脂綿代わりに使用し、それを固定するために、麻の古くなったもので作られた、ほぼ越中フンドシと同じ形をした生理帯が使われていた。おそらく縄文時代から、根本的に仕組みは同じだったと思われる。…
ガマの穂綿やゼンマイの綿毛が、脱脂綿の代わりになる!?
じゃあ、ワタスゲなんかはどうだったのか。

もうひとつ。氏のパンツについての思い出。
 しかし、夏の海は格別だった。当時は公害もなく、海や川に「水泳禁止区域」はなかったし、神経質な母親や臆病な指導監督の先生もいなかったので、子供たちは、水のある所を自由に泳ぎ回っていた。
海や川べりではかわいいハドコ(オチンチン)が飛び跳ね、女の子も恥じらうこともなく生まれたまんまの姿で走り回っていた。自然の前では「エッチ」も「スケベ」もなく、みなおおらかだった。

小学四年生の頃、町で店頭に、黒い三角状の小さな海水パンツが売られているのを見た。私は一度そのパンツをはいて泳いでみたくて、母に「パンツ買ってけさまい」というと、「パンツはくとカモ腐る」と言って買ってくれなかった。
それ以来、私は長い間、パンツをはくと本当にカモ(男性器)が腐るものだと信じてしまい、長じて結婚したときに、初めて家内からパンツくらいはくようにと言われ、困惑した覚えがある。…

私はここで、下世話な部分しか引用しなかったが、特に他は、民俗学者の味わい深い活きたことば、というあたりで、この国を憂える人の目に心に、是非留まることを願う。

昨今、「断捨離」がもてはやされた時期があったが、うっかり急いで「断捨離」してしまってはならない、未来に繋いでいくべき宝があるのだ、ということで。

過去から顔をそむけ、未来にのみ思いをはせてもむなしい。そもそも未来に可能性を認めることは危険な幻想である。未来と過去を対立させるのは愚かである。未来はなにも生みはしないし、なにも与えない。未来を築きあげるべくすべてを与え、ときに生命さえも捧げるべきは、われわれ人間のほうだ。ところで、与えるためには持っていなければならない。しかるに、われわれは自分が過去から継承し、吸収し、同化し、再生した宝のほかには、なにひとつ与えるべき生命、与えるべき活力を持ちあわせていない。人間の魂が欲するさまざまな欲求のなかで、過去ほど死活にかかわるものはないのだ。…
~シモーヌ・ヴェイユ(仏・哲学者)

(2012/06/11)


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◇◇ロシア構成主義とふんどしの近似性◇◇


アレクサンドル・ロトチェンコ:デザインと広告の父

タチヤナ ザヴヤロワ

東京のギンザ・グラフィック・ギャラリーでは2日、「ロトチェンコ 彗星のごとく、ロシア・アヴァンギャルドの寵児」が開幕した。同展覧会では、ロトチェンコが独創的な写真家ならびに優れたデザイナーとしても紹介されている。
 構成主義の代表者ロトチェンコは、芸術によって「未来を創造」できると確信していた。ロトチェンコは1920年代に多くの発見をし、独自の手法を生み出した。「ロトチェンコ遠近法」、「ロトチェンコ短縮法」という用語は、現代の写真家にとって馴染みのものとなっている。 ロトチェンコははじめ、写真ではなく絵画を学んだ。だがそれは風景画や静物画ではなく、平面や色彩の研究だった。ロトチェンコの抽象的な構成は密度が濃く、空間を「征服」した。絵画雑誌には、ロトチェンコが考案した未来都市の実験的な空間プロジェクトなどが掲載されるようになった。
…と、東京でロトチェンコ展があるそうだが、私は二年前にロトチェンコ×ステパーノワ展に行った。

シンプルで衛生的で合目的的で、勤労生活様式にふさわしいものであること。と同時に、新鮮で鮮やかな装飾性、これこそが人間の外見を良好にするためのわれわれソビエトの基本的なスローガンである。…
(構成主義アートの旗手Y・トゥゲンドホリドの1923年言葉)
の文字通りに追求された機能美は、西側のブルジョア文化に汚染された(笑)私を圧倒するものだった。
極めぬくまでにキレイに引かれた円と直線、ここまでの線の美しさを手に入れるまでに、一体どれほどの線と円を描き費やしたことだろうか、と私は溜息をついたものだ。

そうして展示物の中には、舞台衣装のデザイン画も数点あり、それも円と直線なのである。
服飾科ではふつう、人体は曲線で構成されているから、と習うはずである。それを、ものの見事に、 シンプルで合目的的な 円と直線で表してしまう、「革命的」とはこういうことか、と色んな意味で覚醒する思いだった。

そんなわけで、芸術の分野でも、私はとりわけ、ロシア・アヴァンギャルドが大好物である。

シンプルで合目的的な 円と直線で表せる衣服といえば、日本の着物は直線だけである。当然、ふんどしもそうなのだ。
しかも、ことに男性のもっこ褌とは、かつての男性の労働着だった。
ふんどしは シンプルで衛生的で合目的的で、勤労生活様式にふさわしいもの の極みといえよう。

もしや、これはかつてのロシア構成主義の巨匠が見たならば、ふんどしを取り入れなかったはずはないのでは…、と私は逞しい妄想で遊ぶのだった。

(2012/03/05)


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◇◇ふんどしの作り方◇◇


ふんどしは簡単な構造で、「父は母の作った越中を愛用していた」といった話も昔の人から聞くことがある。

ミシンが家庭に普及する以前も、太平洋戦争後、洋裁の爆発的な需要のためにミシンが家庭に普及してからも、今と違ってモノの無い時代に、ふんどしを手作りする程度のことは、「たしなみ」に過ぎなかっただろうと思われる。

ところで。
ロシア語通訳で作家だった米原万里(故人)の『パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)』を紐解くと、冒頭に面白いことが書いてあった。

(旧ソ連では)四年生になると、女の子は家庭科を履修するのだが、その裁縫の授業で、最初に教わったのが、スカートでもエプロンでもなく、下着のパンツの作り方だった。…

夏休みの林間学校で、二年先輩のダーシャというソ連人の女の子が、雨続きで洗ったパンツがなかなか乾かず、スペアが足りなくなったときに、スーツケースの中から布きれを取り出して、型紙も使わずに素早く裁断すると、あれよあれよという間に目の前でパンツを縫い上げたのである。…
丁寧に「ソ連のパンツ」の作り方の図説も載っている。クロッチの曲線部分もある立体の製図で、初めてミシンで何かを制作するにあたり、雑巾を縫うなどといったことよりも難易度が高い。

(手作りふんどし バリエーションの一例↓)


それを思うと、ふんどしを作ることは、大して難しいことはない。
強いて私が作るふんどしで、難しいとしたら、腰紐の端の始末だろうか。とはいえ、それも工夫次第でどうにでもなるもので、絵を描いてみたり、レースやチロリアンテープを使ってみたり、様々なバリエーションが楽しめる。

 (袷仕立ての場合)
① 縦みつの表布と裏布を中表にして縫い合わせる。
② 裏返してアイロンで整え、端ミシン。
③ 縦みつと腰紐を縫いつけて、腰紐を折って端ミシン。
④ 腰紐を通す部分を作る。

(2011/12/21)


某日、元値2100円だったというレースのハンカチが、650円で売られていた。
POPには「ジル・サンダー、ミラ・ショーン」と書かれてあったが、どれがどれだかよくわからない。

で、これはジル・サンダー?ミラ・ショーン?と店の人に聞くと、うにゃうにゃ言って、よく見ると「モリハナエ」のロゴが入っていたり。
しかし、ほとんどロゴ入りでない、ユニオンジャックのマークがタグにプリントされてあるだけで、有名ブランドの品なのかすらわからない。
ただ、タグのプリントがユニオンジャックだという時点で、少なくともジル・サンダーでもミラ・ショーンでもなかろう、ということはわかる。

そこを突つくと、店の人が更にディスカウントの上でおまけまでくれたので、数枚購入してふんどしを作ることにした。私が作る女性用ふんどしに使用する布の大きさは、ハンカチぐらいがちょうどいい。
こういったレースの花のひとつひとつを、刺繍に沿って切り抜くと、使い勝手のいいモチーフになる。



モチーフをてきとうに散らして、縫いつけると↓


もっと甘めにするならば、腰紐の部分はサテンのリボンなどでもよかったかもしれない。

(2012/03/05)


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◇◇「ふんどし」の英訳◇◇


英語で「ふんどし」を何と言うのか。
" Japanese classic lingerie " とか " Japanese old time underwear " とか、あれこれ悩んだので、Google翻訳で調べてみたところ、すんなりと " loincloth " と出てきた。

この " loincloth " って、英語圏で一般的に通用する言葉なのだろうか。例えば、日本語で「ゲートル」と言って「何、それー?」という反応が返ってくるテの言葉ではなかろうか、と。(ちなみに「ゲートル」とは、昔兵隊さんが足のふくらはぎの保護に、包帯のようにぐるぐる巻きにしていたやつのことである。)

よくわからないので、インターネット上で訊ねてみたところ、
記事の見出しに"loincloths"って使われてるので、普通は通用すると思います。ただ、”loin"という言葉は、文語らしいので場合によっては知らない人もいると思います。
と、問題のリンク先の記事()を見ると、なるほど、と思う。また、
「日本の」「古風な(old-fashioned )」という二つの説明は必要な感じが。
通じないですよ。" loin " は腰部、" cloth " は布で、「腰布」。長くなりますけど、ち​ゃんと記述した方がいいですよ。" Japanese loincloth " ("fundoshi") がいいと思いますよ。
といったお答え。レスポンス早し。いやはや、インターネットは便利。

やはり「ゲートル」同様、英語圏で " loincloth " と言っても「What's?」な反応が返ってきそうである。

(2011/08/09)

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◇◇ふんどしの起源◇◇


図書館で、ポーラ研究所が発行した『is』というサブカル的な季刊誌の1987年の「明るい下着」という特集記事を読んだ。
上野千鶴子、鴨井羊子…、下着を語らせたら右に出るもののいないであろう面々も寄稿している、内容の濃い特集だった。

その中に、ファッションプロデューサーの石津謙介、文化人類学者の深作光貞という二人の対談があり、ふんどしの発生の経緯について、文化人類学者の方が面白いことを語っておられた。

古い世代の人びとは兵隊時代に越中褌をして男らしいといわれて、越中褌は男らしい、男のなかの男とするものと思っている人が多い。しかし越中褌の起源を調べてみると、二つあるんです。

一つは大阪の色町の新町に越中という遊女がいて、恋人に自分の着物の袖を与えた。それがうれしくてそれを越中褌にしていつも自分の性器を包んでいた。それが越中褌の起源だというんです。

もう一つは、細川ガラシャの亭主の細川忠興が越中守で、これが女物を身につけるのが好きな人だった。女の生理帯が越中褌ですから、それをつけて得々としていたらしい。

だから、どちらにしたってかなりイカれたフェティシズムで、起源は変態的だったんですよ。それがいつしか一般的に男が締めるものということになってしまった。

かつて女性の着物下がノーパンだったことは知っていたが、「褌(ふんどし)」の字のごとく、衣へんに軍人の「軍」というからには、やはり男が身につけたのが起源だと思っていたのだが…、そうだったのか。

(2010/12/31)


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◇◇絹の下着を纏いたい◇◇


ワコール宣伝部編の『下着おもしろ雑学辞典』という本を紐解くと、絹の下着について以下のような記述を見つけた。
 戦争に欠くことのできない綿火薬を製造するために、綿がどんどん使われていき、当然のことながら大変な不足をきたしたのです。当時のランジェリーは、ほとんどが綿製です。はじめは、わずかばかり残っていた、ハンカチ地の綿や麻を活用して細々とつくっていましたが、これもすぐに底をつき、下着業界は窮地に追い込まれてしまいました。
 そしてここで、綿のピンチヒッターとして脚光を浴びることになったのが、絹であったというわけなのです。絹のクレープデシンでつくられたランジェリーは、意外にも大ウケし、世界的に絹の下着の流行へとつながっていったのです。あのぜいたく品の絹のランジェリーが、綿の代用品だったとは…。何やら皮肉なお話です。

ここでいう「戦争」というのが、いつ何処での戦争のことを言っているのか、説明不足がなんだかな、と思いつつ読んだ。

しかし、私が「絹のふんどし」を作ろうと思いたったのは、上記の理由など全く関係ない。

布のスケッチ―絹(シルク)ノート (創作市場研究所)』という本に、以下のように書いてあったのを見たからだ。

 皮膚を保護し、皮膚の生理的機能を損なわない衣服といえば、文句なく絹です。動物性繊維のため、その組成たんぱく質が人体の皮膚のたんぱく質と類似しているからです。
 天然素材にこだわる人でも、せいぜい綿100%の下着というれべるでストップし、汗や汚れを吸収した綿の下着には細菌や雑菌が繁殖することを知りません。しかし、絹の下着では、汗や汚れを吸収しても、湿気の放出が早いためか、細菌や雑菌の繁殖はみられにくいのです。
 絹には消炎、消毒、吸毒、排毒、止血、鎮痛、解熱などの保護衛生的作用があるので、皮膚のトラブルにはあてがえば修復を手助けしてくれます。ヤケド、切り傷、虫さされ、化膿、タダレ、かゆみ、アトピー等に対して、絹は大きな力を発揮してくれます。湿疹等の皮膚トラブルがある人も無い人も、絹は健康的に利用価値のある素材なのです。
平安貴族は怠惰で贅沢な生活をしていたにもかかわらず、絹の衣服に身を包んでいたことで庶民よりも長生きしたといわれています。

私はこれを読んで、「絹の下着を纏いたい」と思い、自分でふんどしを作るようになった。